★★クリスマス・メッセージ★★★★★★★★★
「世界で最初のクリスマス」
石井智恵美牧師
「イエスは、ヘロデ王の時代にベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。『ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を拝みに来たのです。』」(マタイによる福音書2章1節~2節)
みなさん、クリスマスってなんの日でしょう。クリスマス・ケーキやごちそうを食べる日?クリスマス・プレゼントをもらう日?みんなそれぞれのクリスマスのイメージがあると思います。
今日は、世界で最初のクリスマスのお話をします。今日のプログラムの表紙に描いてある絵を見てください。真ん中の赤ちゃん、これがイエスさまですけれど、みんながこの赤ちゃんを拝んでいます。お母さんのマリアさんもお父さんのヨセフさんも、羊飼いたちも、三人の博士たちも、みんな目を伏せてイエス様を拝んでいます。「クリスマス」という言葉は、「クリスト(キリスト)」と「マス(礼拝)」という言葉組み合わせ、つまり「キリストを礼拝する」というのが、クリスマスの意味なのです。そして、今日のこの絵は、世界で最初のクリスマス、イエス様を礼拝している場面をえがいています。夜空には大きなベツレヘムの星が輝いて、救い主キリストの誕生を告げ知らせています。暖かで安らかな平和の光が、生まれたばかりの赤ちゃんから発せられていることが伝わってきます。
けれども、イエス様は本当に安全・安心なところに生まれてきたわけではありません。ヘロデ王は、とても嫉妬深い王で、自分の敵になると思う人は容赦なく抹殺するような王でもありました。だから東方の博士たちが「ユダヤ人の王を拝みに来た」とヘロデ王のところに行って告げたときは、ヘロデ王は内心おだやかではなかったはずです。「ヘロデ王は不安をいだいた。エルサレムの人々もまた同様であった」(2:3)と記されています。ヘロデ王がまたひどいことをするかもしれない、と周りの人は不安になったのです。そして実際、ヘロデ王は3歳以下の男の子をすべて殺せという命令をこの後、出します。マリア、ヨセフ、赤ちゃんのイエス様は天使のお告げによって、難民となってエジプトへ逃げて、難を逃れることができました。このように生まれてすぐに赤ちゃんのイエス様は、たいへんな困難にあっているのです。世界で最初のクリスマスは、苦しみの多いこの世に、救い主が生まれたことのお祝いでした。そして、私たちと共にいてくださる神さま₋インマヌエルを告げ知らせる出来事でした。私たちも、イエス様がこの世に生まれてくださり、私たちの苦しみ悩みを共にしてくださったことを、心から感謝したいと思います。
クリスマスおめでとうございます。
「学ぶ喜び」
創世記3章1節~7節
石井智恵美 牧師
私が学生時代に、韓国人のお母さん(韓国語で“オモニ”)に日本語を教えるボランテイアをしていたことがあります。昔、日本は韓国、朝鮮を植民地にしていました。だから第二次世界大戦前には、たくさんの韓国・朝鮮人が日本人として日本に渡ってきていたのです。 多くの韓国人の女性たちが文字の読み書きができませんでした。どうしてでしょう? 韓国は儒教道徳のために「女に学問はいらない」とされていたため、多くの少女は学ぶことができませんでした。そして、日本にやってきた女性たちは、戦後生活をすることが精いっぱいで、学ぶ時間がとれず、子どもたちが独立して一段落して、60代、70代になってから、文字を学び始めたのです。
文字の読み書きができないって具体的にどんなことでしょうか?「ここは危険近づくな」と表示されていても読めなかったら、情報が伝わりません。そのために危険に巻き込まれるリスクは、ずっと高くなります。私がボランテイアをしていた時に、直接聞いた話は、町内会で回覧板が回ってきても読めないので、子どもが学校から帰ってくるのを待って読んでもらってから隣に回したとか、職場でここへ行きなさいと行先を書いた住所や地図を渡されても読めないので、道行く人に尋ねながらようやくたどりついた、という話を、ドキドキしながら聞きました。バスに乗ろうとしても、書いてある行先が読めないので、どれに乗っていいのかわからない、という話もありました。自分だったらどうするだろう、と本当に手に汗を握りました。それでも、お母さん(オモニ)たちは「あいうえお」の文字を覚えて、3か月が過ぎるころには、簡単な作文も書けるようになり、頬を紅潮させて学ぶ喜びをいっぱいに「できた!」「書けた!」と60代、70代のオモニたちが少女のように輝いていました。そういうオモニたちの姿を見せていただき、私も学ぶことの喜び、その原点に引き戻されました。
みんなは毎日勉強しているけど、なんのために勉強をしていますか?よい成績を取るため?人との競争に勝つため?でも、学ぶことの喜びは、新しい世界が開かれてゆくことです。韓国人のお母さんたちが懸命に学ぶ姿から、私はそのことを教えてもらいました。未知の世界を知るってわくわくするよね。新しい世界に飛び出してゆく力をつけてゆくために、みんなは今、学んでいるんです。そして自分の人生を切り開いてゆくんです。
マララ・ユフフザイさんは、17歳でノーベル平和賞を受賞したけど、彼女は「女の子は勉強しちゃだめ」というタリバンという組織が支配していたパキスタンの地域の中で、「女の子にも学びを」と発信しつづけた勇気ある少女です。「女だから勉強しちゃだめ」っておかしいよね。そうです。この世の中には残念ですけど、おかしなことがいっぱいあります。でもそのおかしなことを変えてゆくことはできるんです。私たちはそのために学んで、力をつけてゆくのだと思います。
今日の創世記の個所に、蛇が女を誘惑して、女は“神のようになるように”そそのかされて、神様の命令に背いて、善悪のこの実を食べてしまう、というお話が描かれています。神様が人間をいつくしんで配慮したにも関わらず、人間はそれに背いてしまいました。この人間の背きを罪と言います。罪の結果が差別と偏見となって現れます。この世には学びたくても学べないたくさんの子ども達がいます。貧困のため、差別や偏見といったおかしな考え方のため。そういう子どもたちがひとりもいなくなるように、また、そういう現状を少しでも変えてゆくために、学ぶことの喜びーその原点にいつも立ち返りたいと思います。それは神が私たちに与えてくれた大きな祝福です。
(2020年10月18日 教育週間礼拝説教より)
「愛するってどんなこと?」
石井智恵美 牧師
今日は「老人と少年の肖像」という絵を紹介します。縮小してあるので、少しわかりにくいかもしれませんが、この老人の鼻の頭には水ぶくれがたくさんできていて、また額にかけても黒いしわとこぶがあって、決して美しい顔とは言えません。もし初めての人がこの老人の顔を見たら、目をそむけてしまうかもしれません。でも、この少年は目をそらせたりしないで、まっすぐにおじいさんを見上げています。そこには、おじいさんに心を開き信頼して、「おじいさんには僕が必要なんだ」ということをわかっている確信に満ちたまなざしがあります。少年は老人の胸に手を当てて、老人は少年を膝の上にのせて腕で抱いているようです。背景には、高い山や高い木、湖や川が見えます。しかし少年は外に遊びに行かないで、おじいさんと共にいるのです。小さなこどもは自然の中でちからいっぱい遊びたいものです。でも、そうしないで、自分のもとにいてくれる、こぶやできものがある自分の顔をこわがらないでまっすぐに信頼を寄せてくれているーその少年を本当にいつくしんでいる表情です。二人はただ暖かく見つめ合っています。二人の間には深い信頼と愛情が流れています。愛することは世代や年齢や性別を超えています。お互いを大切にすることーそれはどんな人間の間にも起こることであり、できることなのです。
年齢も性別も超えて人間の中に愛する力があるーこれは本当に不思議なことです。神様がそのように人間を創造してくださいました。この愛する力によって、私たち人間は人間となり、人間として成長してゆくのです。特にこの老人と少年の互いへの温かなまなざしを見ていると、神様の人間に注がれるまなざしを思い起こすのです。私たちは、表面的なことで人を判断してしまいがちです。美しかったり醜かったり、素敵なファッションだったりくたびれた服装だったり、学校や会社や職業のランク付けによって、人を判断したりします。でも、神様は、その人の外側ではなく、内側を見ている、ということを忘れないでほしいのです。この老人がこぶやしわや水ぶくれがあっても、少年が信頼のまなざしを向けているのは、少年がこの老人の心の美しいことを知っているからなのでしょう。そんな風に、神様もわたしたちの表面的なところではなく、内側をご覧になっています。神様は、もしかすると私たちの心の内の醜い面もご覧になっていることでしょう。人をうらやんだり、憎んだりする思い、弱い人をいじめたり仲間はずれにしたりする思い、自分の失敗を人のせいにしたり、過ちを認めなかったりする心、すべてをご覧になっているでしょう。そのような欠点をも、神様はご覧になったうえでわたしたちを、愛し抱きしめてくださり、悔い改める方向へと導こうとされています。長寿祝福礼拝の今日、そのような神様の守り導きの内に、長い人生を歩まれてきた方々への尊敬と愛情をあらためて思い起こし、また、そのように私たちの一人一人の命を祝福し守り導いてくださる神様への感謝を新たにしたいと思います。
(2020年9月13日 長寿祝福礼拝説教より)
【絵の出典:シスター・ウェンデイ・ベケット著『耳をすませてー本当に大切なこと』新教出版社、2002】