学ぶ喜び
2020年10月18日 教育週間礼拝説教より
三鷹教会牧師 石井智恵美
創世記3章1節~7節
私が学生時代に、韓国人のお母さん(韓国語で“オモニ”)に日本語を教えるボランテイアをしていたことがあります。昔、日本は韓国、朝鮮を植民地にしていました。だから第二次世界大戦前には、たくさんの韓国・朝鮮人が日本人として日本に渡ってきていたのです。 多くの韓国人の女性たちが文字の読み書きができませんでした。どうしてでしょう? 韓国は儒教道徳のために「女に学問はいらない」とされていたため、多くの少女は学ぶことができませんでした。そして、日本にやってきた女性たちは、戦後生活をすることが精いっぱいで、学ぶ時間がとれず、子どもたちが独立して一段落して、60代、70代になってから、文字を学び始めたのです。
文字の読み書きができないって具体的にどんなことでしょうか?「ここは危険近づくな」と表示されていても読めなかったら、情報が伝わりません。そのために危険に巻き込まれるリスクは、ずっと高くなります。私がボランテイアをしていた時に、直接聞いた話は、町内会で回覧板が回ってきても読めないので、子どもが学校から帰ってくるのを待って読んでもらってから隣に回したとか、職場でここへ行きなさいと行先を書いた住所や地図を渡されても読めないので、道行く人に尋ねながらようやくたどりついた、という話を、ドキドキしながら聞きました。バスに乗ろうとしても、書いてある行先が読めないので、どれに乗っていいのかわからない、という話もありました。自分だったらどうするだろう、と本当に手に汗を握りました。それでも、お母さん(オモニ)たちは「あいうえお」の文字を覚えて、3か月が過ぎるころには、簡単な作文も書けるようになり、頬を紅潮させて学ぶ喜びをいっぱいに「できた!」「書けた!」と60代、70代のオモニたちが少女のように輝いていました。そういうオモニたちの姿を見せていただき、私も学ぶことの喜び、その原点に引き戻されました。
みんなは毎日勉強しているけど、なんのために勉強をしていますか?よい成績を取るため?人との競争に勝つため?でも、学ぶことの喜びは、新しい世界が開かれてゆくことです。韓国人のお母さんたちが懸命に学ぶ姿から、私はそのことを教えてもらいました。未知の世界を知るってわくわくするよね。新しい世界に飛び出してゆく力をつけてゆくために、みんなは今、学んでいるんです。そして自分の人生を切り開いてゆくんです。
マララ・ユフフザイさんは、17歳でノーベル平和賞を受賞したけど、彼女は「女の子は勉強しちゃだめ」というタリバンという組織が支配していたパキスタンの地域の中で、「女の子にも学びを」と発信しつづけた勇気ある少女です。「女だから勉強しちゃだめ」っておかしいよね。そうです。この世の中には残念ですけど、おかしなことがいっぱいあります。でもそのおかしなことを変えてゆくことはできるんです。私たちはそのために学んで、力をつけてゆくのだと思います。
今日の創世記の個所に、蛇が女を誘惑して、女は“神のようになるように”そそのかされて、神様の命令に背いて、善悪のこの実を食べてしまう、というお話が描かれています。神様が人間をいつくしんで配慮したにも関わらず、人間はそれに背いてしまいました。この人間の背きを罪と言います。罪の結果が差別と偏見となって現れます。この世には学びたくても学べないたくさんの子ども達がいます。貧困のため、差別や偏見といったおかしな考え方のため。そういう子どもたちがひとりもいなくなるように、また、そういう現状を少しでも変えてゆくために、学ぶことの喜びーその原点にいつも立ち返りたいと思います。それは神が私たちに与えてくれた大きな祝福です。