不思議な風が吹けば
2023年5月28日聖霊降臨節第1主日聖霊降臨日(ペンテコステ)礼拝説教
三鷹教会牧師 石井智恵美
聖書:使徒言行録2章1節~11節
「5旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いてくるような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると一同は聖霊に満たされ、”霊“が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。」(2:1~4)
本日は聖霊降臨日、ペンテコステの祝日です。クリスマス、イースターとしてペンテコステが教会の三大祝日とされていますが、一番わかりにくいのが、このペンテコステかもしれません。それは「聖霊」のわかりにくさ、なのでしょう。
私たちは今日のこの聖霊降臨の出来事をどのように受け止めるでしょうか。聖霊はわかりにくい、とお話ししましたが、生きてゆく中で、なぜかわからないけれど、勇気が湧いてくるようなとき、だめかな~と思うようなときでも、やっぱりがんばってみようと前向きに自分を奮い立たせる時がありますね。そういう時、聖霊が働いているのではないか、と私は思うのです。
私たち現代人はいつもたくさんの情報にさらされていて、それを分析したり推測したりして、理詰めで自分の判断を決めています。けれども、どれほど正しく情報を分析して決断をしたとしても、結果的にうまくいかない時は多々あります。むしろ、直観的に“こっちが良い”と思える時があり、それに従ってうまくいく、ということも私たちは経験します。聖霊の働きは、この直観的に「良い」「悪い」と教えてくれる力に関わっているのではないでしょうか。それは私たちの思いや思考を超えているものです。そして私たちを確かに善い方向へ導いてくれている力がある、と信頼して自分をまかせること、その勇気を与えてくれるのも、やはり聖霊ではないでしょうか。
聖霊は、私たちの思考の狭く小さな枠組みを打ち破って、広く新しい世界に連れ出してくれるダイナミックな生きた力をもっています。その聖霊に信頼することは、私たちはいつになっても狭い枠組みにとらわれない新しく広い世界へと歩みだしてゆくことができる、ということです。そして、過去の失敗や過ちをくよくよしたり、未来の不安や怖れにとらわれるのではなく、今、ここを生きる力を与えてくれるのです。それが聖霊の働きではないでしょうか。そのようにして、主イエス・キリストの教会ははじまったのです。
先週は、私の恩師でもあったS先生の記念会が行われました。94歳で天に召されましたが生涯現役を貫かれました。S先生は誰にも語れないようなありのままの自分をイエス・キリストに受け止めていただけている、ということが自分の信仰の原点であると、語っておられました。それがどれほどの恵みであるか、と。そして、このイエス・キリストの恵みに応えるには、自分の人生の中で課題を見つけてそれを担ってゆくことだ、と最後に皆に勧めています。その結果が見えなくてもいい。神様が善い働きをしている―そこに自分が生きている間参与する、どんなに小さなことでもよいから、これを生涯続けてやっていこう、という目標をもってもらいたい、と。
S先生もきっと何度も立ち上がれないような壁にぶつかったはずです。しかし、その苦しみが恵みに変えられるという経験を何度もなさり、S先生は生涯現役を貫かれました。「不思議な風が吹けば」という聖霊の風は、棚からぼたもち式に与えられるものではない、と思います。キリストの恵みを日々味わい、それに応えようと自分の課題を見つけ、誠実にそれを担うこと―その内実のある所に、こちらの思いを超えて不思議な風が吹くのではないでしょうか。
不思議な風が、皆さん一人一人の上に吹きわたりますように。その自由のうちに私たちの信仰の歩みをまた歩んでまいりましょう。