キリストの美しさー桜桃忌に寄せて

キリストの美しさー桜桃忌に寄せて

石井智恵美

「私はキリストの美しさのみを信じる」―太宰治がこういう言葉を残していたと知ったのは、高校の時、熱狂的な太宰ファンの先輩からでした。それから興味を持って読むようになりましたが、それほど好きにはなれませんでした。共感するところもありましたが、たとえば『人間失格』などはあまりに自虐的で、コンプレックスを抱えた高校生はあまり近づきたくない、こうはなりたくないと思いました。「キリストの美しさ」―それは苦しみ悲しむ人々と共にあったイエスの愛の姿を見て言った言葉なのかもしれません。しかし太宰は救世主としてのキリストの救いには触れませんでした。それには魅かれなかったというのもわかる気がします。美しさには誰もが魅せられます。美しさは誰にもわかりやすく近くにあるからです。6/19の桜桃忌に初めて行ってみました。墓に刻まれた太宰治の文字のくぼみにさくらんぼがはめ込まれていて、それは不思議な美しさでした。今も慕われている太宰治は幸せな作家だと思います。