愛するってどんなこと?
2020年9月13日 長寿祝福礼拝説教より
三鷹教会牧師 石井智恵美
今日は「老人と少年の肖像」という絵を紹介します。縮小してあるので、少しわかりにくいかもしれませんが、この老人の鼻の頭には水ぶくれがたくさんできていて、また額にかけても黒いしわとこぶがあって、決して美しい顔とは言えません。もし初めての人がこの老人の顔を見たら、目をそむけてしまうかもしれません。でも、この少年は目をそらせたりしないで、まっすぐにおじいさんを見上げています。そこには、おじいさんに心を開き信頼して、「おじいさんには僕が必要なんだ」ということをわかっている確信に満ちたまなざしがあります。
少年は老人の胸に手を当てて、老人は少年を膝の上にのせて腕で抱いているようです。背景には、高い山や高い木、湖や川が見えます。しかし少年は外に遊びに行かないで、おじいさんと共にいるのです。小さなこどもは自然の中でちからいっぱい遊びたいものです。でも、そうしないで、自分のもとにいてくれる、こぶやできものがある自分の顔をこわがらないでまっすぐに信頼を寄せてくれているーその少年を本当にいつくしんでいる表情です。
二人はただ暖かく見つめ合っています。二人の間には深い信頼と愛情が流れています。愛することは世代や年齢や性別を超えています。お互いを大切にすることーそれはどんな人間の間にも起こることであり、できることなのです。
年齢も性別も超えて人間の中に愛する力があるーこれは本当に不思議なことです。神様がそのように人間を創造してくださいました。この愛する力によって、私たち人間は人間となり、人間として成長してゆくのです。特にこの老人と少年の互いへの温かなまなざしを見ていると、神様の人間に注がれるまなざしを思い起こすのです。私たちは、表面的なことで人を判断してしまいがちです。美しかったり醜かったり、素敵なファッションだったりくたびれた服装だったり、学校や会社や職業のランク付けによって、人を判断したりします。
でも、神様は、その人の外側ではなく、内側を見ている、ということを忘れないでほしいのです。この老人がこぶやしわや水ぶくれがあっても、少年が信頼のまなざしを向けているのは、少年がこの老人の心の美しいことを知っているからなのでしょう。そんな風に、神様もわたしたちの表面的なところではなく、内側をご覧になっています。
神様は、もしかすると私たちの心の内の醜い面もご覧になっていることでしょう。人をうらやんだり、憎んだりする思い、弱い人をいじめたり仲間はずれにしたりする思い、自分の失敗を人のせいにしたり、過ちを認めなかったりする心、すべてをご覧になっているでしょう。そのような欠点をも、神様はご覧になったうえでわたしたちを、愛し抱きしめてくださり、悔い改める方向へと導こうとされています。
長寿祝福礼拝の今日、そのような神様の守り導きの内に、長い人生を歩まれてきた方々への尊敬と愛情をあらためて思い起こし、また、そのように私たちの一人一人の命を祝福し守り導いてくださる神様への感謝を新たにしたいと思います。